たびをするもの

世のお子様たちは夏休みという1大イベントの真っ最中なのですが
そんなお子様たちに付き合ってハゼ釣りに。
もーハゼ釣るよりも仕掛け作ったり針外したり投げ竿のレクチャーしたりと
釣りどころではない釣行でした。
それでも必要な分はしっかり釣って晩のおかずで堪能しましたが。


この時期になると各映画会社がジュブナイルムービーをいろいろと出してくる。
子供はそんな映画を見たら「あーオイラも旅したいなー!!」と思い
そして物理的にあるいは精神的にどこかへと出かけていくのだ。
それが夏休みとしての正解なのではと。


余談だが『おジャ魔女どれみナイショ』の第1話はそんな「子供のジュブナイル」なお話。
未見の人はこれを機に見ておくのが良いかと。

虫と僕

ハイビジョンでやってたマレーシアの昆虫のドキュメントを見た。
タマムシやハムシやカミキリムシはそのまま宝石として通用するんじゃないかと思うほど美しく
コノハムシやナナフシの擬態の精巧さに唸り、でかいヤスデに驚きと満足。
昆虫撮影家の栗林慧氏のカメラワークも絶品でしたよ。


「昆虫は自然を受け流すように適応して進化した」(うろおぼえ)
という『Queen Bee』1巻の前書きを思い出した。
言うなれば「人間は自然を制覇して発展した」なのかなと。
クマゼミのさんざめく中でふと思った。

じぼ・あし・じゃん

大学時代読んでいた萩原朔太郎の詩集を思い出し
そのサイケな内容と個性豊かなオノマトペに何かしらの感覚を覚えたそんな日。

またどこかに行きたくなってきた。
そろそろ18きっぷの季節なので今度は西の方にでも行こうかと。
旅行というのは行く前にあれやこれやと準備するのも楽しいものだなぁ。

1+1が3にも4にもなる(カメハメ師匠談)

カツカレー理論というのがある。
カツ(おいしい)+カレー(うまい)=カツカレー(すごくおいしい)というアレ。
つまり2つの良いところを採ることの相乗効果で良いところがさらに増すということなのですが。

ファイナルファイト』のハガー+ガイや
『パワードギア』のレプトス+ガルディンなんかはその良い例だったり。

不思議な色の幸せ

みんなのうた』の「オランガタン」という曲の歌詞がちょっと気になったので
検索をかけてみて確認。
とりあえず確認はできたのだが。
歌詞をじっくり見てみるとまた違ったモノが垣間見える気が。



歌詞が著作権がらみで書けないので内容をかいつまんで。
そこにある色の幸せを認め、対岸の色を気にしつつ存在を否定していた者同士が
あるきっかけから渾然一体となるが結局はそこにいるものはあるべき姿を取り戻すというもの。
この「色」というのを「国家」と置き換えると
先進国を羨望の目で見ていながらも侵略政策を認めずテロに走る発展途上国
国家に関係なく活躍の場を求めるアーティストとかに代表される
現在の世界情勢が垣間見える気が。



そういえばオランガタンって作曲がシングアウトの惣領泰則なのでした。
ああやっぱり70年代なのね。

7650な話

扇風機を回しながら『ゼビウスファードラウト伝説』を読む。
ロシア語より難しい言語を苦も無く使用するという遠藤氏の天才振りと
後書きの元ナムコ社員2名の行方が気になる内容でした。


思えば学生時代ナムコは好きなゲームメーカーで
そこにはもはやゲーム職人と呼んで良い位のクリエイターが文化祭の準備みたいに
ワイワイ騒ぎながらこれまた歴史的な名作をポンポン発表していたのです。


そういえば『仮面ライダー響鬼』と『義経
合わせたら『源平討魔伝』になるような気がしますが。

レディ・フォー・エイティーズ

ステージ101のCDをヘビーローテーションで演奏していたり
ダイソーの復刊漫画に目を通したりと
ここ最近70年代のアイテムによく出会う。


思うにあの時代は次の時代に何かが起きるという期待と
現実に起こっている社会問題という絶望の入り混じった世界であって
そこの混沌性から感性のとんがった作品が輩出されていたんだなぁと思うのです。


ところで70年代的ヒロインってオーバーオールが似合うという先入観があるので
妹尾あいこ姉やん(おジャ魔女どれみ)なんかは最適かと。